5月度例会報告
ベンチャーコミュニティー 第223回例会 講演概要
■日時:2018年5月24日(木)18:30~19:30
■場 所:大阪産業創造館交流プラザ(17階)
■講 師:塩川幸男氏 元造幣局博物館館長
■テーマ:「造幣局誕生とお金のよもやま話」 ~5円玉は何故穴があるのか?~
■プロフィール:
昭和40年4月造幣局入局以来、主に総務部門での職責を務められ、造幣局博物館 館長を最後に平成19年3月定年退職。
その後、嘱託により平成28年3月まで造幣局博物館の特別展の企画や年内40回にわたる出張講演等に尽力されました。造幣局 離職後の現在も精力的に講演、執筆活動に活躍されています。
■講演内容
1.日本の貨幣にまつわるよもやま話
よく知られているギザギザ10円以外にも、現在の各種貨幣に至る前に、形状、材料、デザインなどの変化を経てきた。唯一1円だけは昭和30年の発行以来、一度も変更されていない。
2.造幣局について
・本局は大阪、他にさいたま支局、広島支局をもつ独立行政法人であり、造幣博物館も併設(入館無料)
・貨幣製造の他、時代の要請にこたえて勲章・褒章、(国内、海外向けの)記念貨幣などを製造、貴金属製品の品位証明などを行う。
3.造幣局が創設された背景
・時代背景
江戸時代末期、我が国の貨幣制度は、幕府によるた度重なる貨幣の改悪、改鋳により、量目や品位がまちまちの貨幣が流通し混乱していた。そんな中、ペリー来航後の1858年に締結された日米修好通商条約において、「外国の諸貨幣は、日本貨幣の同種類と同量を持って通用すべし。」と記載され、当時の国際通貨であったメキシコドル(洋銀)と天保一分銀の交換比率は「1ドル=三分」と定められた。この交換比率の問題から、金貨の海外流失が止まらず、貨幣の授受不安、全国的な物価混乱を引き起こしたため、幕府は貨幣制度の整備を迫られることになったものの、当時の徳川幕府は滅亡寸前の状態にあったため、明治維新政府(新政府)に引き継がれることになった。
・造幣局はなぜ大阪に置かれたのか
第一に水利を考え、広大な面積が必要だった。第二に当時財源のない明治維新政府にとって頼みの綱であった京都、大阪の財界に配慮した。第三に当時「天下の台所」と呼ばれた大阪は経済の中心地であったことが考えられるものの決定的な理由は不明。
・造幣局と日本の近代化
新政府は、洋式設備による近代造幣工場を建設することを決定し、当時外国事務局判事の五代才助(のちの友厚)らは、当時廃局が決まり、イギリスに送り返されることになっていた香港造幣局の機械類一式の購入を決定した。造幣局は、明治初年における欧米文化移植の先駆者として、我が国の近代工業及び文化の興隆に重要な役割を果たしたので、大阪市が今日我が国商工業の中心として興隆をみるようになったのも、造幣局に負うところが少なくないと言われている。
4.日本の貨幣と紙幣
・貨幣…財務省管轄の造幣局で製造
・紙幣…日本銀行管轄の国立印刷局で発行
普段利用している身近なお金の話から、造幣局が大阪に創設されることになる近代歴史の話題など、非常に興味深いテーマだった。
(文責:川原剛)